那須川天心の父親はどんな人?弘幸氏の指導法とTEAM TEPPEN誕生の真相を2026年最新解説
プロボクサーとして世界の頂点を目指す那須川天心。その圧倒的なスピードと独特の戦闘センスを育てた人物として知られるのが、父親の那須川弘幸氏です。弘幸氏は、息子が幼いころから練習に付き添い、独自の指導方法で格闘技の基礎を築いてきました。現在は格闘技ジム「TEPPEN GYM」の会長として選手の育成にも携わっています。
一方で、父親の指導は非常に厳しかったことでも知られています。天心自身がインタビューで語った幼少期の練習、ボクシング技術を支えた岡本祐爾氏との出会い、TEAM TEPPENの結成経緯をたどると、単なる親子の二人三脚にとどまらない成長の背景が見えてきます。2025年の世界戦での敗北と、2026年の再起に向けた取り組みも踏まえ、父親の人物像と現在の親子関係を整理します。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- 父親の名前:那須川弘幸氏。TEPPEN GYM会長で、天心の幼少期から格闘技の基礎づくりを支えてきた人物です。
- 指導方法:格闘技の専門家としてキャリアを積んだ父ではなく、独学で練習法を工夫。自宅での反復練習や厳しいマンツーマン指導が特徴でした。
- TEAM TEPPENの誕生:父・天心・岡本祐爾氏の3人による練習から始まり、ジュニア選手も育てるチームへ発展しました。
- 2026年現在:弘幸氏はジム運営を続け、天心のボクシング転向後も、再起に向けた練習を支える存在となっています。
【父親はどんな人?名前は那須川弘幸氏、格闘技経験は?】
那須川天心の父親は、那須川弘幸(なすかわ・ひろゆき)氏です。格闘技ジム「TEPPEN GYM」の会長を務め、天心の育成に深く関わってきました。選手としてリングで名を上げた人物というより、息子とともに練習法を考え、格闘家としての土台を築き上げた指導者という側面が強い人物です。
日刊スポーツが2023年4月に報じた人物紹介によると、弘幸氏は中学時代にサッカーで全国制覇を経験しています。運動に親しんだ背景を持つ一方、天心本人はTOKYO FMの番組「SUBARU Wonderful Journey ~土曜日のエウレカ~」で、父親について、格闘技を本格的に経験していた人物ではないと説明しています。
格闘技との出会いは、天心が5歳のときでした。当初、父親が空手道場に連れて行った目的は、強い格闘家に育てることだけではなく、礼儀を学ばせることにありました。幼い天心は最初から格闘技に熱中していたわけではなく、練習が嫌で道場を抜け出すこともあったと本人が振り返っています。
転機となったのは、空手の試合で負けた経験です。悔しがる息子の姿を見た弘幸氏は、自宅の一室を練習場所に変え、マンツーマンで指導するようになりました。日刊スポーツなどの報道では、小学4年生のころに親子で世界一を目指す決意を固めた経緯も紹介されています。
また、天心の名前についても、父親が「天に心を持て」という願いを込めたと日刊スポーツは伝えています。大きな心と感謝の気持ちを持ってほしいという思いが込められた名前です。競技力だけでなく、人としての姿勢を大切にする父親像がうかがえます。

【父親の指導方法はなぜ厳しい?天心を育てた練習の実態】
弘幸氏の指導を語るうえで欠かせないのが、徹底した反復練習です。2021年にTOKYO FMの番組で天心が語ったところによると、空手の試合で大敗した翌日から、自宅の一室で毎日トレーニングをする生活が始まりました。
通常のミット打ちでは、選手がミットを打ち、トレーナーが動きを受け止めます。しかし、天心が経験した練習は、それだけではありません。父親がミットを装着したまま打ち返し、天心が攻撃への対応を迫られるような独特の練習も行われていました。
練習時間も一定ではなく、1時間ほどで終わる日もあれば、夜遅くまで続く日もあったといいます。試合で勝ったから終わりという考え方ではなく、練習で再現できていない動きを繰り返し身につけることを重視していたのです。
天心は番組内で、父親が格闘技の基本を作ってくれたと振り返っています。独学で試行錯誤しながら組み立てた練習を、親子で一緒に磨いていったという説明が印象的です。弘幸氏が最初から完成された指導理論を持っていたというより、息子の動きや課題に合わせて練習方法を作り上げていったと考えられます。
中学2〜3年ごろになると、天心はプロになることを具体的に意識し、自分から練習に取り組むようになったと同番組で語っています。幼少期の「やらされる練習」が、成長とともに「自分の目標を達成するための練習」へ変わっていった点は、親子の歩みを理解するうえで重要です。
ただし、こうした指導を無条件に理想的な育成方法と評価することはできません。厳しい反復練習が天心の競技力を支えたことと、同じ方法がすべての子どもに適しているかどうかは別の問題です。天心自身の適性、競技への意欲、親子の関係性などが重なって成立した、非常に個別性の高い指導だったと見るべきでしょう。
【TEAM TEPPEN結成秘話|岡本祐爾との出会いが変えたもの】
那須川天心の成長を父親一人の指導だけで説明することはできません。パンチ技術の向上や練習環境の発展には、岡本祐爾氏との出会いも大きく関係しています。
キックボクシングへ進んだ天心は、当初から一つのジムだけに所属して練習するのではなく、複数のジムへ出稽古に出向いていました。その練習先で紹介されたのが、アマチュアボクシングの経験を持つ岡本氏です。天心は岡本氏にボクシングのトレーナーを依頼し、父親とともにパンチ技術を磨く体制が生まれました。
TEAM TEPPENの始まりは、現在のジムの規模から想像するよりも小さなものでした。父親、天心、岡本氏の3人が近所の体育館を週に1回借りて練習するところからスタートしたと伝えられています。弘幸氏が全体の練習を支え、岡本氏がボクシング技術の基礎を教えるという、役割の異なる指導者が一緒に取り組む形でした。
2022年の「ゴング格闘技」では、弘幸氏と岡本氏が天心の技術や試合運びについて証言しています。同誌の紹介によると、2人は少年時代から天心を見てきた人物であり、カウンターの技術や試合ごとの戦略についても意見を交わしてきました。天心の強さは、父親の厳しい反復練習だけでなく、専門的な技術指導と試合分析が組み合わさることで発展してきたのです。
やがて練習に参加する子どもたちが増え、TEAM TEPPENは一般のジュニア選手も指導するチームへと成長しました。ジュニアチャンピオンを輩出する育成環境が生まれたことは、親子3人の練習が天心個人のためだけの取り組みに終わらなかったことを示しています。
ここで注目したいのは、TEAM TEPPENの成り立ちが「有名選手のために大規模な施設を用意した」という話ではない点です。まず必要な練習を考え、外部の指導者と協力し、体育館を借りて実践する。その積み重ねが、後進を育てる場へつながりました。チームの結成経緯そのものが、天心の競技人生を支えた仕組みを表しています。

【中学時代から15歳のプロデビューへ|父親と歩んだ成長の年表】
天心がプロ格闘家として早くから頭角を現した背景には、学校生活と競技生活を両立させながら練習を重ねた時期があります。中学時代は、週に1〜2回ほどの出稽古を除けば、自宅やTEAM TEPPENで父親と練習する時間が多かったとされています。
2021年のTOKYO FM出演時、天心は中学時代のアマチュア試合について、100戦以上経験し、敗戦は2〜3回ほどだったと振り返りました。また、父親の考えから、自分の体重より5キロ重い階級で試合に出ることもあったと話しています。こうした経験は、体格差のある相手への対応を学ぶ機会になったと考えられます。
主な経緯を整理すると、次のとおりです。
| 時期 | 出来事 | 父親・チームとの関係 |
|---|---|---|
| 5歳ごろ | 空手を始める | 礼儀を学ばせる目的で父親が道場へ連れて行く |
| 小学生時代 | 試合での敗北を機に練習が本格化 | 自宅の一室で父親とのマンツーマン練習を開始 |
| 中学時代 | アマチュア試合とプロを見据えた練習 | 自宅やTEAM TEPPENを中心に練習し、出稽古も活用 |
| 2014年7月 | 15歳でキックボクシングのプロデビュー | 父親やトレーナーの支えを受け、プロの舞台へ進む |
| 2021年 | ボクシング転向を表明 | キックボクシングで培った技術を別競技で生かす挑戦へ |
| 2023年4月8日 | プロボクシングデビュー戦で与那覇勇気に判定勝ち | 父親がリングサイドから見守り、転向後の初戦を迎える |
| 2025〜2026年 | 世界戦での初黒星を経て再起に取り組む | TEPPEN GYMでの練習や葛西裕一氏との連携が報じられる |
キックボクシングのプロデビューについて、日刊スポーツは2014年7月の有松朝戦を取り上げ、天心が58秒で勝利したと報じています。15歳でプロの舞台に立ったことは、少年時代からの積み重ねが早い段階で結果に結びついた象徴的な出来事でした。
なお、ボクシング転向の表明と、プロボクサーとしてのデビューは別の出来事です。転向を発表したのは2021年で、実際のプロボクシングデビュー戦は2023年4月8日。与那覇勇気を相手に3-0の判定勝ちを収めました。キックボクシングで培った実績を持ちながら、別競技の基礎を改めて積み上げる道を選んだのです。
この転向は、父親が幼少期から築いてきた練習環境をそのまま持ち込めば成功する、という単純な話ではありません。ボクシングではキックを使えず、競技のルールも試合運びも異なります。これまでの技術を生かしながら、新たな専門性を身につける必要がありました。父親の役割も、すべてを独力で教えることから、専門トレーナーと連携し、息子の課題に応じて支える形へと変化しています。
【父親と息子の関係は?厳しさの真相と周囲からの評価】
那須川親子の関係は、外から見ると非常に厳しい指導者と選手の関係に映ります。弘幸氏は2023年のボクシングデビュー戦後、デイリースポーツの取材で、息子を厳しく育ててきたことや、天心自身がよく耐えてきたことに触れました。勝利した選手を無条件に褒めるというより、努力を続けてきた過程を見つめる父親の姿勢が伝わる発言でした。
一方、天心自身も父親への感謝を公にしています。2025年に掲載された文春オンラインのインタビューでは、父親から自分に向けられたエネルギーの大きさを振り返り、尊敬と感謝の気持ちを語っています。また、厳しい練習を受けていた当時は、その親子関係が周囲と比べて特別だったと気づいていなかったとも明かしました。
この2つの証言を合わせると、親子関係の特徴が見えてきます。父親は競技力を高めるために強い負荷をかけ、天心はその厳しさを受け止めながら、自分の目標を明確にしていきました。父親が一方的に理想を押しつけただけでも、天心が最初から自発的に練習を望んでいたわけでもありません。幼少期の抵抗から、自分でプロを目指す段階へ変化していった過程が重要です。
父親の評判についても、単に「厳しい」という一言で片づけることはできません。指導者としては、天心の基礎を作り、TEAM TEPPENの運営を通じてジュニア選手の育成にも携わってきました。一方で、家庭内での練習は非常に強度が高かったと本人が語っており、その方法をすべての選手に当てはめることには慎重さが必要です。
また、父親と息子が常に同じ意見だったと考えるのも適切ではありません。競技の転向や、プロとして何を改善すべきかという判断には、本人、父親、所属ジム、専門トレーナーそれぞれの役割があります。親子の信頼関係があることと、競技上の判断を一人の指導者に任せきりにすることは同じではありません。
2025年11月、天心は井上拓真との世界戦でプロキャリア初の黒星を喫しました。その後、スポニチアネックスは同年12月、弘幸氏が再び息子の指導に関わる意向を示し、天心本人からも「またお願いします」との返事があったと報じています。敗戦を機に親子の協力が再び深まった経緯は、厳しさだけでなく、競技人生の節目で頼り合える関係が続いていることを示しています。

【2026年現在の父親は?TEPPEN GYMと弟・那須川龍心への影響】
2026年現在、弘幸氏はTEPPEN GYMの会長としてジム運営と選手育成に携わっています。天心のボクシング転向後も、父親としての支えがなくなったわけではありません。ただし、現在の天心はプロボクサーとして帝拳ボクシングジムを拠点に活動しており、父親がすべての専門指導を単独で担っているわけではありません。
2025年の世界戦敗北後、天心は父親が運営するTEPPEN GYMでも練習を行い、キックボクシング時代に指導を受けた葛西裕一氏と再び連携しました。2026年9月のTHE ANSWERの報道では、弘幸氏が敗戦の原因を厳しく分析する一方、天心の努力を認め、再起を支える様子が紹介されています。
その後、天心は2026年4月11日の再起戦で、元世界王者フアン・フランシスコ・エストラダに9回終了TKO勝ちを収めました。敗戦を経験したあとも、父親の運営するジムや以前からの指導者との関係を生かして練習を続けていたことは、長年の信頼関係が現在の競技生活にもつながっていることを示しています。
弘幸氏の育成は、天心一人に限られません。弟の那須川龍心もプロ格闘家として活動し、TEAM TEPPENに所属しています。RISEなどの選手プロフィールでも、龍心が幼少期から格闘技を学び、ジュニア大会で実績を重ねてきた経歴が紹介されています。
ただし、兄弟が同じ父親の指導を受けていても、競技者としての道のりは同一ではありません。天心はキックボクシングからプロボクシングへ進み、龍心はキックボクシングを中心に実績を重ねています。それぞれの得意技や成長段階に合わせた指導が求められる点は、ジュニア選手の育成を考えるうえでも重要です。
TEAM TEPPENの現在を考えると、天心を育てた経験が、後進を指導する基盤になったことが分かります。親子3人で体育館を借りて始めた練習が、ジュニア選手を育てるチームへ発展し、天心の競技転向後も新たな練習拠点として機能しています。弘幸氏の役割は、息子の練習相手から、選手の可能性を引き出す指導者へと広がってきたのです。
【那須川天心父】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:那須川天心の父親の名前は何ですか?
A1:父親の名前は那須川弘幸(なすかわ・ひろゆき)氏です。TEPPEN GYMの会長を務め、天心の幼少期から格闘技の基礎づくりを支えてきました。
Q2:那須川天心の父親は元格闘家ですか?
A2:天心本人は、父親について格闘技を本格的に経験していた人物ではないと説明しています。独学で練習法を工夫し、親子で試行錯誤しながら指導方法を作り上げていったことが、TOKYO FMの番組で語られています。
Q3:TEAM TEPPENはどのように結成されたのですか?
A3:天心が出稽古先で岡本祐爾氏を紹介され、ボクシングのトレーナーを依頼したことがきっかけです。父親、天心、岡本氏の3人が近所の体育館を週1回借りて練習を始め、やがてジュニア選手も指導するチームへ発展しました。
Q4:2026年現在、父親は那須川天心の指導を続けていますか?
A4:はい。弘幸氏はTEPPEN GYMの運営を続けており、2025年の世界戦敗北後には再び天心の指導に関わる意向を示しました。2026年には、父親のジムでの練習や葛西裕一氏との連携が報じられています。ただし、天心は帝拳ボクシングジムを拠点とするプロボクサーであり、専門指導は複数の指導者との協力のもとで行われています。
Q5:那須川天心の弟・龍心も父親から指導を受けていますか?
A5:龍心もTEAM TEPPENに所属するプロ格闘家です。幼少期から格闘技に取り組み、ジュニア大会でも実績を残しています。ただし、兄の天心とは競技人生や得意分野が異なるため、それぞれの選手としての成長を見ていく必要があります。
まとめ:【プロの結論】父親の支えをどう評価するか
那須川天心の父親・那須川弘幸氏は、幼少期から息子の練習に付き添い、独学で指導方法を工夫しながら格闘家としての土台を築いた人物です。岡本祐爾氏との出会いをきっかけにTEAM TEPPENを立ち上げ、専門的な技術指導を取り入れたことも、天心の成長を支えた重要な要素でした。
親子の歩みを理解するうえで大切なのは、厳しい練習だけを成功の理由にしないことです。本人の意欲、父親の試行錯誤、外部トレーナーの専門性、練習を継続できる環境が組み合わさったからこそ、15歳でのキックボクシングのプロデビューや、2023年のプロボクシング転向後の挑戦につながりました。
2026年現在、弘幸氏はTEPPEN GYMの会長として選手育成を続け、天心も世界の舞台で戦い続けています。2025年の初黒星と2026年の再起戦は、親子の支え合いが勝ち続けるためだけのものではなく、敗北から課題を見つけ、再び挑戦するための基盤でもあることを示しました。
父親の最大の功績は、天心に練習を課したことだけではありません。自ら考え、専門家と協力し、競技環境を作り、後進を育てる仕組みへと発展させたことにあります。那須川天心の今後を追う際には、リング上の勝敗だけでなく、こうした指導環境と親子の関係がどのように変化していくかにも注目したいところです。 (出典: 那須 川 天心 父(Yahoo!ニュース))