張本勲とサンデーモーニングの軌跡|卒業・最後の出演・追悼放送を徹底解説
「喝!」と「あっぱれ!」の決めぜりふで、日曜朝のスポーツコーナーを長年にわたって彩った張本勲さん。プロ野球史に残る安打記録を持つ名打者であり、TBS系「サンデーモーニング」の「週刊御意見番」としても広く知られた人物です。2021年12月にレギュラー出演を卒業した後も節目ごとに番組へ登場し、2026年8月2日の出演が最後となりました。そして同年9月9日、86歳で死去。9月13日の番組では追悼特集が放送されました。日本プロ野球名球会の訃報発表や野球殿堂博物館の公式記録、TBSの番組情報から、その歩みを振り返ります。
張本勲さんの魅力は、通算3085安打という圧倒的な実績だけではありません。歯に衣着せぬ発言が支持を集める一方、時には批判や議論を招いたことも、「サンデーモーニング」の御意見番という役割を語るうえで欠かせない要素です。レギュラー卒業から最後の出演、訃報、追悼放送までの経緯とともに、「喝!」「あっぱれ!」が長く記憶された理由を整理します。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- 経歴の要点:張本勲さんは通算3085安打、首位打者7回を記録したプロ野球の歴史的打者です。
- 番組出演の経緯:2021年12月26日にレギュラー出演を卒業した後も不定期で登場し、2026年8月2日に最後の出演を果たしました。
- 訃報と追悼:2026年9月9日に86歳で亡くなり、9月13日の「サンデーモーニング」で名場面や被爆体験、平和への思いが紹介されました。
【張本勲とサンデーモーニング】約20年にわたる「週刊御意見番」の歩み
張本勲さんが「サンデーモーニング」のスポーツコーナーで広く親しまれるようになったのは、1999年からです。番組のスポーツコーナー「週刊御意見番」で、野球を中心に国内外のスポーツニュースを取り上げ、選手やチームのプレーに対して独自の視点からコメントしてきました。
このコーナーを語るうえで欠かせないのが、「親分」の愛称で親しまれた元プロ野球監督の大沢啓二さんです。2人の共演は、当初予定されていた出演日程が重なったことがきっかけだったと、当時の番組関係者や報道で伝えられています。結果的に、張本さんの率直な物言いと大沢さんの存在感が組み合わさり、番組を象徴する名コンビが誕生しました。
2010年に大沢さんが亡くなった後は、張本さんが御意見番の中心的存在として出演を続けました。スポーツニュースを単に解説するのではなく、プレーの良しあしを短い言葉で評価するスタイルが定着し、日曜日の朝に「喝!」や「あっぱれ!」を聞くことが番組の楽しみの一つになりました。こうした番組史は、スポニチアネックスや週刊文春の追悼記事でも振り返られています。
番組の魅力は、専門家の分析をわかりやすく伝えるだけでなく、出演者の個性を通じてスポーツの出来事に感情や価値判断を加える点にありました。張本さんは、長年の選手経験をもとにした厳しい指摘と、優れたプレーを称賛する言葉を使い分け、スポーツを身近な話題として視聴者に届けてきたのです。
【2021年卒業から2026年の訃報まで】出演歴を時系列で整理
張本勲さんの「サンデーモーニング」出演歴を理解するには、2021年のレギュラー卒業と、その後の特別出演を分けて考える必要があります。卒業は番組との完全な別れではなく、本人が節目ごとの出演を予告していたことも重要です。
| 時期 | 出来事 | 確認できる内容 |
|---|---|---|
| 1999年 | レギュラー出演開始 | 「週刊御意見番」でスポーツニュースを解説。 |
| 2010年 | 大沢啓二さん死去 | 名コンビの時代を経て、張本さんが御意見番の中心的存在に。 |
| 2021年11月28日 | 卒業を発表 | 本人が番組内で、年内にレギュラー出演を卒業すると説明。 |
| 2021年12月26日 | レギュラー出演を卒業 | 長年の定期出演に区切りをつけた。 |
| 2026年8月2日 | 最後の出演 | 「スペシャルご意見番」として登場。阪神・佐藤輝明選手や巨人・坂本勇人選手らの話題に言及。 |
| 2026年9月9日 | 死去 | 日本プロ野球名球会が、86歳で亡くなったと発表。 |
| 2026年9月13日 | 追悼放送 | 「喝!」「あっぱれ!」の名場面や、野球人生、被爆体験を通じた平和への思いを紹介。 |
2021年11月28日の放送で、張本さんは自身の都合でシニア人生をゆっくり過ごしたいという趣旨を述べ、レギュラー卒業を発表しました。翌年以降も節目に出演する意向を示しており、実際に2026年8月2日には「スペシャルご意見番」として生放送に登場しています。卒業後の出演については、野球評論家としての活動を続けながら、番組との関係も保っていたことがうかがえます。
8月2日の放送では、阪神の佐藤輝明選手が打撃三冠王を獲得する可能性について見解を示し、巨人の坂本勇人選手のオールスターでの活躍にも「あっぱれ!」と評価を送りました。この放送は、結果的に張本さんの最後の出演となりました。ORICON NEWSが当日の番組内容を報じています。
その約1か月後の9月9日、張本さんは86歳で死去しました。日本プロ野球名球会は翌10日に訃報を公表し、長年にわたる記録と野球界への貢献をたたえています。公表された訃報では亡くなった日と年齢が示されていますが、死因については発表文に記載されていません。
【2026年9月13日の追悼放送】最後の出演映像と共演者の言葉
2026年9月13日の「サンデーモーニング」は、張本さんの訃報を伝え、長年の出演映像を振り返る追悼特集を放送しました。番組冒頭から野球人としての活躍と御意見番としての姿が取り上げられ、スポーツコーナーでは「喝!」や「あっぱれ!」の名場面が紹介されました。
追悼放送には、張本さんと現役時代にチームメートだった落合博満さんと中畑清さんも出演しました。落合さんは、張本さんにこそ「大あっぱれ」を贈ってほしいという趣旨の言葉で功績をたたえました。中畑さんも、巨人時代のつながりを持つ先輩への思いを語り、番組が長年にわたって築いてきた野球界との結びつきを感じさせる内容となりました。
前司会者の関口宏さんも、張本さんについて「頑固でいいおじさんでした。『喝』の名人でもありました」と振り返り、野球界で残した記録を称賛しました。関口さんは、張本さんが広島で被爆した経験を踏まえ、平和を訴え続けた姿勢にも言及しています。こうしたコメントは、日刊スポーツなどの報道で伝えられました。
追悼特集で注目されたのは、野球の記録や名場面だけではありません。番組の「風をよむ」では、張本さんが自身の被爆体験を語り、核兵器のない世界への願いを訴えてきた歩みも紹介されました。広島で原爆を経験した張本さんにとって、平和への思いは野球解説とは別の、人生を通じて伝え続けた重要なテーマでした。
この放送によって、視聴者が思い出したのは、強い口調でスポーツを論評する御意見番の姿だけではありません。プロ野球の記録を築いた選手としての顔、戦争と被爆の記憶を伝える証言者としての顔もまた、張本勲という人物を形づくっていたのです。
【通算3085安打・首位打者7回】張本勲の野球成績と偉業
張本勲さんは1940年6月19日、広島県に生まれました。1959年に東映フライヤーズへ入団し、新人王を獲得。1962年には最優秀選手(MVP)に選ばれました。その後、日本ハム、巨人、ロッテなどでプレーし、1981年に現役を引退するまで23年間にわたって活躍しました。
最大の実績は、日本プロ野球の通算最多安打記録である3085安打です。野球殿堂博物館の公式プロフィールによると、通算2752試合に出場し、9666打数3085安打、打率.319、504本塁打、1676打点を記録しました。首位打者は7回獲得しており、この回数もプロ野球史に残る記録です。
張本さんの打撃は、左右に打ち分ける広角打法と安定したミート力が特徴でした。長打力に加えて、ヒットを積み重ねる能力を備えていたことが、通算3000安打を超える成績につながっています。通算3085安打は単に長く現役を続けた結果ではなく、打撃技術と継続的な成果を両立させた証しです。
幼少期の火傷によって右手に不自由を抱えていたことも、張本さんの人生を語る際に紹介されてきました。野球殿堂博物館は、右手の薬指と小指に残った障害を克服し、強打者として活躍した経歴を記録しています。こうした背景は、彼の競技人生が記録の数字だけでは語り尽くせないことを示しています。
日本プロ野球名球会や日本野球機構も、張本さんの訃報に際して通算3085安打や首位打者7回の実績を紹介し、日本球界に残した功績をたたえました。引退後も解説者・評論家として野球界に関わり続けたことから、現役時代の記録と「週刊御意見番」での活動は、彼のキャリアを支える二つの大きな柱となっています。
【「喝!」と「あっぱれ!」の評判】愛された理由と批判を招いた発言
「喝!」と「あっぱれ!」が長年にわたって親しまれた理由は、評価を短い言葉に凝縮するわかりやすさにあります。好プレーや優れた実績には「あっぱれ!」、ミスや問題のある行動には「喝!」。複雑なスポーツニュースでも、張本さんの言葉によって視聴者が論点をつかみやすくなり、家族や友人との会話につながる余地が生まれました。
また、プロ野球で長年プレーした経験を持つ張本さんは、技術面や勝負への姿勢を自分なりの基準で評価しました。監督や選手の経験に基づく言葉には説得力がある一方、競技や世代によって価値観が異なる場合には、意見の食い違いも生まれます。歯に衣着せぬコメントは、番組に活気を与える特徴であると同時に、論争のきっかけにもなりました。
その一例が、2016年10月の箱根駅伝予選会をめぐる中央大学への発言です。張本さんは予選落ちの背景について、内紛があるという情報に触れましたが、同大学陸上部関係者から事実無根との抗議が出ました。その後、TBSは番組公式サイトで謝罪しています。この件は、御意見番の率直な発言が必ずしも十分な裏付けを伴うとは限らないことを示した事例として報じられました。
したがって、張本さんの評判を「愛された名物解説者」か「批判されたコメンテーター」かの二択で評価するのは適切ではありません。実績に裏打ちされたスポーツ観と、テレビ番組における強い個性が共存していたからこそ、支持と反発の両方を集めたと考えられます。
メディア論の視点から見れば、「喝!」と「あっぱれ!」は、専門家の意見を視聴者が理解しやすい形式へ変換する役割を果たしていました。一方で、短い評価語は文脈を省略しやすく、断定的な表現ほど反論も呼びやすいものです。張本さんの出演歴は、テレビのスポーツ解説において、わかりやすさと慎重な事実確認をどう両立させるかという課題も残しています。

【プロの結論】張本勲の功績をどう評価するべきか
張本勲さんの足跡を評価する際は、少なくとも三つの観点を分けて考えることが重要です。第一は、通算3085安打や首位打者7回に象徴される競技者としての実績。第二は、「週刊御意見番」を通じてスポーツニュースをわかりやすく伝えたメディア出演者としての功績。第三は、被爆体験を語り、平和への思いを伝えた証言者としての役割です。
これらは互いに関係していますが、同じ基準で評価できるものではありません。野球の成績は公式記録で確認できます。番組出演の功績は、長年の放送内容や共演者の証言、視聴者に浸透した決めぜりふから読み取れます。発言の妥当性については、個々の発言とその背景、事実関係を検証する必要があります。
「サンデーモーニング」の歴代スポーツ御意見番を振り返ると、張本さんの個性が番組の記憶に強く残っていることがわかります。大沢啓二さんとの名コンビから始まり、レギュラー卒業後の特別出演、そして2026年9月の追悼放送まで、張本さんは番組のスポーツコーナーを象徴する存在でした。
今後、張本さんの功績を知りたい読者にとっては、野球殿堂博物館や日本野球機構の公式記録で数字を確認し、TBSの追悼映像や当時の報道で番組出演の歩みを振り返る方法が有効です。発言をめぐる議論については、切り抜き動画や短い見出しだけで判断せず、発言の前後関係や番組側の対応まで確かめることで、人物像をより立体的に理解できます。
【張本勲とサンデーモーニング】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:張本勲さんが「サンデーモーニング」を卒業したのはいつですか?
A1:2021年12月26日です。張本さんは同年11月28日の放送でレギュラー卒業を発表し、今後は節目に出演する意向を示していました。
Q2:張本勲さんの最後の出演と追悼放送はいつですか?
A2:最後の出演は2026年8月2日です。「スペシャルご意見番」として登場しました。その後、9月9日に86歳で亡くなり、9月13日の「サンデーモーニング」で追悼特集が放送されました。
Q3:張本勲さんの通算成績と主な記録は何ですか?
A3:通算3085安打、打率.319、504本塁打、1676打点を記録し、首位打者を7回獲得しました。3085安打は日本プロ野球の歴代最多記録です。
まとめ:張本勲とサンデーモーニングが残したもの
張本勲さんは、通算3085安打を記録した歴史的な打者であると同時に、「サンデーモーニング」の「週刊御意見番」を通じて、長年にわたりスポーツを語り続けた人物でした。2021年のレギュラー卒業後も番組との縁は続き、2026年8月2日の最後の出演から約1か月後、9月9日に86歳で亡くなりました。9月13日の追悼放送では、名場面だけでなく、被爆体験と平和への思いも改めて紹介されています。
「喝!」と「あっぱれ!」は、張本さんの率直な人柄とスポーツへの強い関心を象徴する言葉として記憶されています。その一方、発言をめぐる批判や議論も含めて振り返ることで、彼がテレビのスポーツ解説に与えた影響をより正確に理解できます。野球人としての記録、番組を彩った個性、平和を伝えた証言者としての歩み。その三つを合わせて見ることが、張本勲さんの残した功績を受け止めるうえでの大切な視点です。 (出典: 張本勲 サンデー モーニング(Yahoo!ニュース))